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ハクシュ/その9
しまったな…
頭の後ろで、綾那がつぶやいたのは間違いじゃない。
珍しいこともあるもんだと、順が振り返ると、順の机の上のノートパソコンを睨んだまま、綾那は親指の爪を噛んでいた。
「どしたー?」
あごを上げ、さかさまに見上げたまま聞いてみる。
「お前、暇か」
「はぁ、今は暇ですが」
「あさって」
「予定はないよ」
「じゃあ、来い」
「へ?」
そんなわけで、週末に連れ出されたのはまだ時間の早いチェーン店の居酒屋。
夕方6時という時刻にも関わらず、店の奥には十数人の男性が集まっていた。
綾那の後ろについて、順も店員の案内のままそちらに向かう。
どういう組み合わせなのか、想像もできない。
友だち居たのかコイツというのが、順にしてみれば正直なところ。
友だちにしては、年齢が上過ぎるが、年上に可愛がられるのは理解できないことはなかった。
「お疲れ様でした」
テーブルの隅に案内されると、他人行儀に綾那が頭を下げた。
「おぉー、お疲れー!」
すでに何人か出来上がっているようで、ビールのジョッキがバケツリレーのごとく綾那の前に運ばれてくる。
「まだ中学生」
「何いってんだ、お前一番働いたくせに」
「仕事しちゃったんだ、気にするな!」
「んな、むちゃくちゃな」
「つーかもう、お前、うちに来い!面倒みちゃる!!」
「あーそだ、パッケージ出来てきたよー。あげる」
「あ、ありがとうございます」
椅子に座る暇もなく、綾那の手にソフトが渡されて、ようやく周囲落ち着いた。
「はい、席空けて、空けて。綾那、こっちに座れ」
「順、こっち」
「あぁ、うん」
腰を下ろして、騒ぎが収まるのを待っていた店員に、ウーロン茶を2つ。
「これ、どんな集まりよ?」
「打ち上げ。これの」
見せられたゲームは、確かにカウンターに運ぶ前に店員に声をかけられそうな、見るからに成人指定のPCゲーム。
ひとことで言えば、つまり、エロゲー。
「そんな趣味があったとは」
「違う! 頼まれたんだ!」
「頼まれたからって律儀に仕事してくれるなんて思わないじゃんなぁ」
「マジメだよなー、コイツ」
褒められて恐縮すればいいのか順のにやつきを止めればいいのか、判断に困ったのだろう。
綾那の鉄拳が順を沈めて、場が騒然となった。
飲んで、騒いでの2時間が過ぎて、順にも全容がわかってきた。
綾那が誰かに頼まれたのは本当で、デバッグのために1週間ほど事務所にこもったらしい。
修正とテストの後、いくつかの手伝いをして、短期のバイトは終了。
働いたつもりはないと、バイト代を断ったら打ち上げに呼び出された。
飲めないわけでもないし、年上に囲まれた宴会は親戚づきあいで慣れている。嗜好が偏りすぎていてついていけない作品もないことはなかったが、自分の守備範囲で会話が出来て、順を調子づかせていた。
綾那は酒の席の打ち合わせに首を突っ込んで、周囲の言葉は耳に入っていないらしい。順が口にしたらその場で血が流れそうな単語がどんどん並べ立てられていく。ソフトドリンクのグラスよりも、空のカクテルのグラスやジョッキがいくつも綾那の横のテーブルに並んでいる。いくらか酒が入ったようで、ずいぶん饒舌になっていた。
そりゃぁ、知らなきゃつっこまないだろうけど、さー
そんなわだかまりが原因だと順本人が気付かないまま、気付いたらふわりふわりと地面が揺れていた。