Side T SS
断片/005
土砂降りの雨が降っているのに、窓を開けているバカがいる。
人のかばんの中に投げたまま忘れていくかねといいながら、黒い箱のタバコに火をつけては、窓から体を乗り出して、雨粒がそれを消すのを待っている。
「窓から顔出してそんなことするな。見つかったらどうするの」
「こんな大雨の日に上向いて歩いてる物好きなんていないよ」
消えてしまうとまた火をつけて、同じことを繰り返す。
そんなものをどこで誰に投げ込まれてきたとは、尋ねなかった。
「桜の下に死体を埋めたの」
「ふうん」
「学校の帰りに子犬が死に掛けてた」
テレビの画面を見つめたまま、気のない返事を返した。
碌でもない昔話は聞いたことにしておけばいい。
「夕歩が連れて帰るってきかなくて。
ずっと土砂降りだったし、もう、どうしたってダメな感じだしさ。
あたしの傘置いて帰ったんだけど。
朝、ランニング途中に傘だけ取りに行ったのね。
やっぱりっていうか、あーあ、っていうか。
そのまんまにしてたら泣くだろうなって思って、毛布ごと抱えて。
通り道に青カンのメッカになってた公園あってさー、
毎朝ベンチで寝てるオネーサンいたんだけど、
さすがにいなかったから、朝まで降ってたんだろうね。
そこに、一本だけ山桜あって。
あそこしか思いつかなかった。
アレ、なんだろう。桜の下に死体が埋まってるってヤツ」
「梶井基次郎の桜の樹の下には」
ちょうどセーブしているところだった。
「屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
そこに犬っころを加えてきたんだな」
なんでかふてくされて睨まれた。
「なんだっていいよ、そんなこと」
「お前が聞いたんだろ」
かわいくないと言いながら、また外を向いた。
そんなこと思ったことなんかないだろうに、今更何を言い出すのか。
「ちぇ、最後か」
空き箱をゴミ箱に投げ込んで、火をつけた。
「一晩で終わったんでしょ」
「ん?」
「腹が空こうが寒かろうが、一晩で終わったならよかったんじゃないの」
「…そっか…」
再び移動を始めたせいで、ことばは耳に入らなくなった。
好き好んでずぶ濡れになってるバカに、バスタオルを投げるのはもう少しあとでいい。
雨は大粒のはずなのに、案外に火はすぐに消えなかった。
集中が途切れて、ゲームを中断した。
「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。」
浮かんだ最後の一説に、苦笑いした。
「いいことだけしか思い出せないうちに、
終わっちゃったならよかったんだろうね」
目の前の惨劇や憂鬱が、人を縛るのはよくある話。
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引用元
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card427.html