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断片/011

「これはなんなんだろう」

やけに蒸し暑く感じる空気に向かって順の声が放たれた。
答を求めるわけではなさそうな、尋ねかけるわけでもない抑揚のない声。
綾那は聞き返すこともなく、背中を向けてから布団を肩まで引き上げた。
その背中に張り付くと、今度は綾那に向かって順は同じことを尋ねた。

「知るか」

質問につきあう気は始めからない。
面倒くさいから背中を向けただけで、眠いわけでもない。
熱だけは残っている。ただ、それだけ。

「いったいこれはなんなの」
「肉欲」
「それだけ?」
「お前なら辞書で引いたことあるだろ」
「性交って書いてあって、性交のとこには肉欲って書いてある堂々めぐり」
「またえらく古い辞書だな」

そんなことはどうでもいい。
できれば早く眠気が訪れてほしかった。

「だからさ、これは結局なんなの?」
「不満があるなら二度と布団に入ってくるな」
「不満はありません」
「じゃあなんだ」

やっと振り返った綾那は心底わずらわしそうな顔をしていたが、それでいちいち怯む相手ではなかった。

「何か足りないんだってば」
「不満じゃないか」
「こうしてることはすごく嬉しいし、満たされてます」
「じゃあ、なんだ」

張り付こうとする順を拳で押し返し、綾那は繰り返した。

「足りない」
「やりたい放題してただろ」
「肉欲だけならいやってくらい満たされたってば」
「じゃあ満足して寝ろ」
「それだけじゃなくてさー」
「だからなんだっ」
「なんかわかんないけど、何か足りないんだってば」
「お前にわからないものが私にわかるかっ」

懲りずに張り付こうとする順を掌で押し返し、綾那は背中を向けなおした。

「何かされたいとかそういうのじゃなくてさー、なんか物足りない感じ。ねー」
「だから、ひっつくな、汗かいてるんだからっ」
「なんなんだろう、これ」
「知らんというのに」

何か足りないんだよー
呟いていたはずの順が、不意に静かになった。
綾那が振り返ると、肩を掴んでいたはずの順の手が布団に落ちた。

「まったく」

順の足元に丸まったままの布団を肩まで引き上げてやってから、綾那は隣にもぐりこんだ。
何が足りないのか、わざわざ教えてやる気はない。
順が気付いて要求したとしても、応えてやる気もなかったが

「肝心なトコがだいたい抜けてんだ、お前は」

それくらいだからちょうどいいと言ってやる気も、綾那にはなかった。


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