逮捕部屋
百の四。
まだ、残暑のさめない日だった。自分が誘うことが一番丸く収まるのを知っているのだろう海に近い民宿までの切符と、住所を したためた手紙が舞い込んだのは半月も前のことだった。 たまりにたまった有給を申請し、同じくたまりつづけた書類の山をなんとか片付け三日間の休暇を確保したものの、誘った本人 は一日予定に食い込んでの到着になった。 終電になるという東海林を皆が寝静まってから宿の者に借りた自転車で夏実は迎えに出た。深夜まで開いているという屋台の場所も宿の主人に聞いてきた。宿の方は、六人部屋の雑魚寝で人に気を使っているのか何も考えていないのか時々わから なくなる。それはさておくとして、シャッターの閉まった人のいない駅で運転を交代し、先に聞いていたおでんの屋台の親父にもう 一軒、この時間でもまだあいているというラーメン屋に場所を移して小一時間。民宿に戻る頃には深夜の二時も近くなってい た。 足音に気をつけて階段を上がり、人の声に気付きふすまを開けようとしていた夏実の手が止まった。 「美幸、だよね」 「っすね」 できるだけ音を立てないようにふすまを開けると、明かりの消えた部屋にただ美幸の声だけが響いていた。 「寝ぼけてんな」 部屋の大半を埋め尽くした宴会の残骸に苦笑いしながら、夏実に続いて部屋に入り、部屋の隅に押しやられた先客の二人 を見やる。その視線が止まったことに、背中を向けていた夏実は気付かなかった。 「どーする、片付ける?」 「別に、いっす」 「それはありがたいわ」 とりあえず一組布団を敷くだけの場所を確保して、さっさと横になってしまった夏実の横に一人分の隙間を見つけると荷解きも そこそこに横になった。 翌朝。朝食を運んできた女将は前日の酒量に呆れていたが、そんな彼女をさらに呆れさせたのはその後三度お櫃を運ぶこと になった一人を除いた三人の食欲だった。 「あんたまた、寝ぼけてたよ」 申し訳なさそうにというのか、恥ずかしそうにというのか。女将が立ち去るのを小さくなって見送っていた美幸に夏実が声をかけ た。 「ぇ?」 慌てて向き直った美幸に構わず、夏実はふぃと横に視線を移す。 「なんかずっと喋ってた。ねぇ」 「え、あ、はい」 「何かしこまってんのよ」 誤魔化すように背中を向けて何杯めかのおかわりのためにお櫃の蓋を開ける。 「二時頃だった」 中嶋の言葉に、起きてたの?と夏実が声をかけたがあっさりと無視された。 「なんだか楽しそうだったから起こさなかった」 「そういうのが、夢遊病の引き起こすんだってよ」 周りにつられたか珍しく美幸も二杯目にすすむ気になったらしく、お櫃を寄せてもらおうと中嶋を見るとそのまま茶碗を奪われ た。慌てたけれど拒む理由もなく、諦めて夏実に向き直った。 「久しぶりにおじいちゃんが夢に出てきたからじゃないかな。あ、ごめん、ちょっと多い」 「そうなんだ」 中嶋がよこした茶碗の飯の量に美幸はひるむ。半分でいいよ、と押し返すとその言葉のとおりおよそ半分を自分の茶碗に移 して中嶋は美幸に返した。とりあえず礼を言ってそれを受け取るとあらためて美幸は箸をとる。 一人だけ会話に参加せず夏実の横で黙々と飯を口に運んでいたが、誰に言われるわけでもなく机の下の茶筒と急須を引っ 張り出して、部屋の隅にあるポットを取りに立ち上がった。 「どんな話したかは忘れちゃったけど、出てきたのは覚えてる」 「あぁ、だから」 美幸の言葉に、一人納得しているような相槌をうったのに、夏実が反応した。 「なんで?」 「あー」 間延びした返事を返し立ち上がると席に戻って「飲むっすか?」と尋ねた。そんなことで誤魔化されてくれないことはわかってい る。けれど、答えたものかという迷いがあるのも三人には見てとれた。 「いい。いわなくて、いい」 誰かが口を開くより先に美幸が片手を上げてそれを制した。 多数決とかいて弱いものいじめと読む、と言った人がいる。 背中を向けるようにして人数分の湯飲みにお湯を張り、茶筒の葉を蓋に移して量を確かめ急須に移す。 「なんで?」 もう一度、夏実が繰り返した。 盆ごと湯飲みを机の上にあげ急須を傍らにおいて観念したのか東海林はため息を一つ。 申し訳なさそうに美幸を見、 「足元に、初老の男性が立ってたっす…」 二日後、女将に塩を撒かれたとか撒かれなかったとか。 <2003/02/24 00:01:04>