No.3168
腹子を食べる文化自体はすでに猟師の中でも失われつつあるようなのを、この数年で猟師になった人の動画で見たのだけれども
新城市の諏訪神社の神事では、わらで作った鹿を射る神事で鹿を射終わると同時に、村人が群がって腹子の代わりに詰めてある餅を奪い合う行事が残っているし
写真資料を探しているときに見つけた写真フリー素材のニホンジカ検索結果の一番古い3ページくらいがに中国のどこかの市場で売られている解体された鹿の写真だった中でも、腹子はきちんと売られていたし
腹子が万病の妙薬というのはまだ残る地域には残っていそうだと思うと同時に、東日本から入って西へ移動してきた鹿島神社系列の人たちが連れていた鹿は、放せば増える便利な家畜だったのではとなった
#民俗学のこと
新城市の諏訪神社の神事では、わらで作った鹿を射る神事で鹿を射終わると同時に、村人が群がって腹子の代わりに詰めてある餅を奪い合う行事が残っているし
写真資料を探しているときに見つけた写真フリー素材のニホンジカ検索結果の一番古い3ページくらいがに中国のどこかの市場で売られている解体された鹿の写真だった中でも、腹子はきちんと売られていたし
腹子が万病の妙薬というのはまだ残る地域には残っていそうだと思うと同時に、東日本から入って西へ移動してきた鹿島神社系列の人たちが連れていた鹿は、放せば増える便利な家畜だったのではとなった
#民俗学のこと