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そりゃあ、公式が大枚はたいたオンラインイベントみたいな日を、公式の気まぐれで潰されりゃユーザーも切れるわなあと理解はした
日の出屋さんも、件の作品にもとくに触れてないから、傍観者でしかないけども
日の出屋さんも、件の作品にもとくに触れてないから、傍観者でしかないけども
て、ほぼ毎月書いてる時点で察して…
行動としてはすごくだいじなことだってのはわかってるんだけど
毎回、計算が合いませんって高確率で言いに行かなきゃいけないってのも、本当にどうかしているってことに気づいてほしい
だからできる人から順番に「大きいプロジェクトに誘われましたので」って消えていくんだよ
相手にされなくなってんだよ、気づいて
毎回、計算が合いませんって高確率で言いに行かなきゃいけないってのも、本当にどうかしているってことに気づいてほしい
だからできる人から順番に「大きいプロジェクトに誘われましたので」って消えていくんだよ
相手にされなくなってんだよ、気づいて
相方氏、永久に終わらないんじゃないかってゲームを始めていた
姉上の公式絵に我を忘れてしまった一弥さんに「で、何しようと思ってたんだっけ?」と聞かれたので、直前に微塵もそんな話はしてなかったけれども「今夏のセールで購入したゲームの整理では?」て返しておいた(合ってた
httpsにしました・ω・
にふの方はサービスに機能自体がついてないから、そのうちお引越ししないとですなん…
にふの方はサービスに機能自体がついてないから、そのうちお引越ししないとですなん…
これからやる作業の確認しようと思うて落としてきた納品用データ(チェック前)が、ファイル名の名付けから全部間違えてて(´ω`)てなった
夏越の大祓の時期に恐山とか行ったらあかんだったのではと今さら思うなど
雷やらなんやらで、飛行機の出発が遅れて、終電間際になっとりゃーすわ
雷やらなんやらで、飛行機の出発が遅れて、終電間際になっとりゃーすわ
一日で収束した反乱、場所が彼の国なだけに、雇い主に未払いほのめかされた見せしめだったのかしらとか真っ先に考えたり、しておりました
こんなに暗い訳ゃないんだが、雰囲気で
#絵日記
#絵日記

絵を描くことに対する労力がかかることは、べつに厭わないんだよな、てことと。
何を描きたいか、何をしたいのか、先に考えられる様になってきたなってのは、進歩だと思うた。
もっと、見て、描かないとな。
何を描きたいか、何をしたいのか、先に考えられる様になってきたなってのは、進歩だと思うた。
もっと、見て、描かないとな。
戦争中に傭兵屋さんがクーデター…?
三国志ですか………?
三国志ですか………?
寝て起きたら今だった
おやすみ

#絵日記
おやすみ

#絵日記
軍事面について言えば、日本は古の投資家の言う「靴磨きの少年」で、こんな辺境の島国が、軍事増強とか言い出すならそりゃあなた、もう、世界大戦ですわよといらんこと考えました
まきむらさんの語彙に美しいが実用単語としてインストールされたのは、足助のひな壇展示見てたときの、隣にいたオバサンによってだったのだけれど。
人の作ったものについては、実用こそ正義みたいなとこがあって、あらゆるムダを削ぎ落とした危うい潔癖さのような精錬されたものにも美しいという言葉を思いつくことはあるけど(おもに工芸品)、そっち行っちゃったかーとか見て楽しむ道具じゃないでしょーとかなってしまって、余計な感情が混ざってしまって、素直に感動してなかったりする。
どちらかといえば、工場で使いつくされて錆や埃の汚れが残ったまま、整備工場でメンテナンスを待ってる工作機械の方が美しいと感じるし、打ち捨てられた廃屋にも廃屋を取り囲む森の有様にも感じるし、遺跡は発見されたまま埋もれてた方が美しいという単語には向いてると思うている
人工物については「過程がそのままこびりついたもの」に対して強く感じるんだな、ということを改めて考えたりしていた。
人間が自然に感動して必死に自然を現そうとするのは当然の感情だと思いはしても、それが透けて見えてしまう時点で、自然に対する無力感を感じてしまって、そういう論点で評価が高い作品群はあんまり興味がなかったりね。
自然は、人間が適度に手を入れているものがやはり美しいのだけれど、その中で生きていく覚悟がない、ねじ伏せるだけの造形物はやはり面白くはないですね、て、なる。
区画整理された田んぼより、山肌の千枚田の方がそりゃあ美しいでしょうよ、て感じ伝わるかしら。
人の作ったものについては、実用こそ正義みたいなとこがあって、あらゆるムダを削ぎ落とした危うい潔癖さのような精錬されたものにも美しいという言葉を思いつくことはあるけど(おもに工芸品)、そっち行っちゃったかーとか見て楽しむ道具じゃないでしょーとかなってしまって、余計な感情が混ざってしまって、素直に感動してなかったりする。
どちらかといえば、工場で使いつくされて錆や埃の汚れが残ったまま、整備工場でメンテナンスを待ってる工作機械の方が美しいと感じるし、打ち捨てられた廃屋にも廃屋を取り囲む森の有様にも感じるし、遺跡は発見されたまま埋もれてた方が美しいという単語には向いてると思うている
人工物については「過程がそのままこびりついたもの」に対して強く感じるんだな、ということを改めて考えたりしていた。
人間が自然に感動して必死に自然を現そうとするのは当然の感情だと思いはしても、それが透けて見えてしまう時点で、自然に対する無力感を感じてしまって、そういう論点で評価が高い作品群はあんまり興味がなかったりね。
自然は、人間が適度に手を入れているものがやはり美しいのだけれど、その中で生きていく覚悟がない、ねじ伏せるだけの造形物はやはり面白くはないですね、て、なる。
区画整理された田んぼより、山肌の千枚田の方がそりゃあ美しいでしょうよ、て感じ伝わるかしら。
良いか悪いか学問としてどうなのかはさておき
結果論を築くだけの学問てのもあるんだなあと思うたのでした
結果論を築くだけの学問てのもあるんだなあと思うたのでした
まえに外交史の授業受けた時に、安倍さんがいろいろ処分しちゃったから数年先から日本の外交史という学問が空白になる、みたいなことを教授に言われたんだけども
それ、空白にするのが目的だとしたら、現代の外交史まるごと詭弁だったりするんじゃないんですか…? みたいな気持ちで聞いてたんだけど
ほんと今どうなってんだろね
それ、空白にするのが目的だとしたら、現代の外交史まるごと詭弁だったりするんじゃないんですか…? みたいな気持ちで聞いてたんだけど
ほんと今どうなってんだろね
さいごに書き足したとこひげ生えてもた
サムネイル推奨ですだよ

#絵日記
サムネイル推奨ですだよ

#絵日記
千種の正文堂もショックだったけど
シネマテークが7月いっぱいと発表されていたことに打ちひしがれている
#絵日記
シネマテークが7月いっぱいと発表されていたことに打ちひしがれている
#絵日記

新しい手帳サイズのスケブが届いたので
#絵日記
#絵日記

そういえば、めっさ厚塗りしたことあったわー
あれ、マット水彩だったからなんだなー
あれ、マット水彩だったからなんだなー
頭痛ひどすぎて、初めて吐いた…痛すぎてなんとか治めたくてあれこれ調べてたら、案外に吐くと楽になることもあるんすね
実際、楽になって、そのままちょっと寝て、目が覚めてからも残る頭痛は筋肉痛の薬で治まったので、待ってもらってた相方に合流して、サンブレイクデビューしてきました(今ごろ
姉上、かっこよすぎんか…かっこよすぎんか…
実際、楽になって、そのままちょっと寝て、目が覚めてからも残る頭痛は筋肉痛の薬で治まったので、待ってもらってた相方に合流して、サンブレイクデビューしてきました(今ごろ
姉上、かっこよすぎんか…かっこよすぎんか…
そろそろ、四十九日か…
じいちゃんが亡くなったときに、四十九日というのは本当に、良くできた仕組みだなと感心した。
ちょうど年末で、とにかく忙しくて。
ついでにほぼ週末で、通夜だのなんだのは土日で終わっていて。
そこから七日に一度、五週間、坊主が読経しにきて、最後の週はわしらが行った。たぶん。
悲しい時やつらい時は、忙しくしておけばよい、と書いたのは、たぶんカーネギー。
人が来るから支度して、とか、出かける支度して、とか、仕事おわらねーとか、なんか慌ただしく日々が過ぎて。
四十九日めなど、むしろ皆、ほっとしていたんじゃないかと思いだしたりする。
七日法要が忙しさを作り出し、人のために何かをすることで気を紛らわし「その人のいない日常」に強制的に慣らされてゆく。
そして法要の終わった開放感は、葬儀の諸々の慌ただしさを、思い出に変えてしまう。
昔から続く風習は、道理に叶っていると感じることも多い。
いつ頃に定着した風習かも知らない法要の諸々は、何も考えられずに打ちひしがることを許さず、喪った人を忘れることを許さず、過去への執着を懐かしさに書き換える、合理的な行いだったのかと感心したことを、また、思い出している。
じいちゃんが亡くなったときに、四十九日というのは本当に、良くできた仕組みだなと感心した。
ちょうど年末で、とにかく忙しくて。
ついでにほぼ週末で、通夜だのなんだのは土日で終わっていて。
そこから七日に一度、五週間、坊主が読経しにきて、最後の週はわしらが行った。たぶん。
悲しい時やつらい時は、忙しくしておけばよい、と書いたのは、たぶんカーネギー。
人が来るから支度して、とか、出かける支度して、とか、仕事おわらねーとか、なんか慌ただしく日々が過ぎて。
四十九日めなど、むしろ皆、ほっとしていたんじゃないかと思いだしたりする。
七日法要が忙しさを作り出し、人のために何かをすることで気を紛らわし「その人のいない日常」に強制的に慣らされてゆく。
そして法要の終わった開放感は、葬儀の諸々の慌ただしさを、思い出に変えてしまう。
昔から続く風習は、道理に叶っていると感じることも多い。
いつ頃に定着した風習かも知らない法要の諸々は、何も考えられずに打ちひしがることを許さず、喪った人を忘れることを許さず、過去への執着を懐かしさに書き換える、合理的な行いだったのかと感心したことを、また、思い出している。
向かいの屋根の上からこっち見てた鳩と目があったかなと思うたらすっと目線を外されて、こちらを見ることなくウロウロして、見えないところへ行ってしまった奴に
「あ、やべ目があった」
「ちょ、人間ずっとこっちみてる」
「やべーやつだ、無視しよ無視しよ」
「あいつまだ見てる、知らん顔しよ、知らん顔」
みたいな脳内アテレコしてた
「あ、やべ目があった」
「ちょ、人間ずっとこっちみてる」
「やべーやつだ、無視しよ無視しよ」
「あいつまだ見てる、知らん顔しよ、知らん顔」
みたいな脳内アテレコしてた